6月末に日本初公開された世界を代表するラグジュアリーブランド、ロールス・ロイスのBEV「スペクター」。2023年第4四半期から順次納車が開始される予定のロールス・ロイスが生み出した初の量産EVは、ロールス・ロイスが、2030年までに全モデルを電動化するプロジェクトの第一弾という位置付けからも話題を呼んでいます。
今なぜ、ロールス・ロイスは、究極の内燃エンジン自動車を追求してきた歴史が紡ぎ上げるブランドイメージからは、一見相容れない全モデル電動化という選択肢を選んだのでしょうか? その疑問を解くとともに、今回発表された2ドア4シーターBEV「スペクター」の、4800万円というリッチな価格の真髄について探ってみました。
ロールス・ロイスの革新を託された名称「スペクター」
まず、この「スペクター」という最新EVの本質を理解するためには、ロールス・ロイスの歴史を紐解く必要があります。実は、この「スペクター」という名称には、ロールス・ロイス・モーター・カーズの同モデルに対する強いビジョンが反映されているからです。
ロールス・ロイスが「スペクター」という名前を量産車に名付けたのは、今回が初めてですが、ロールス・ロイスの119年の歴史を辿ると「スペクター」という名は、数回登場してきます。まず、最初に登場したのは、1910 年 8月の試用車(デモンストレーター車)です。
ロールス・ロイスの創業者は、ロンドン貴族の家系に生まれ、車の輸入代理店を経営していたチャールズ・スチュワート・ロールズと、幼くして父をなくし働きながら電気工学を学び、自動車の開発に関わっていたフレデリック・ヘンリー・ロイスです。
1904年の5月4日、ロイスの作った自動車の完成度に感銘を受けたロールズが、販売契約を結ぶために、イギリス・マンチェスターのミッドランド・ホテルでの昼食会にロイスを招待したことが、ロールス・ロイスの始まりとされています。その後しばらく、ロールズとロイスは別会社で自動車製造と販売を行った後、1906年3月15日に、正式に両者の合同会社「ロールス・ロイス・リミテッド」が設立されました。
1910年7月12日、航空機にも情熱を燃やしていたチャールズ・ロールズが、32歳の若さで、ボーンマスで行われた競技会の事故で亡くなりました。ロールズは、飛行事故で死亡した歴史上12人目の人物であり、動力航空機で命を落とした最初のイギリス人でした。そんな、ロールズの非業の死後も、ヘンリー・ロイスによりロールス・ロイスは自動車業界において華やかな歴史を刻んでいきます。
ロールス・ロイスの現行のラインナップのうち、「カリナン」(これまでに発見された中で最大のダイヤモンド原石にちなんで命名されたもの)を除くすべてのモデル「ファントム」「ゴースト」「ドーン」「レイス」には、過去の同社の歴史的な名車に関わる名前が冠されています。
1905年から1913年の間、ロールス・ロイスのコマーシャル・マネージング・ディレクターであったクロード・ジョンソンは、当時の顧客が所有していたお気に入りの馬のように、新車に名にも前を付けることを、個人的に提案、顧客と相談しながら、ロールス・ロイスが作った50台近い車の名前を考案しました。
その最も有名なものが、1907年のロンドン・モーターショーのために作られた「シルバー・ゴースト」です。この車のシルバーの塗装と銀メッキのブライトワークは、モータージャーナリストだけでなく一般大衆にも感銘を与え、「シルバーゴースト」は「ニューファントム」が発表される1925年までに製造されたすべての40/50馬力シャシーに公式モデル名として採用されました。
ほぼ無音で走行するロールス・ロイスを表現するために付けられた、この幽玄で別世界を表現した名前は、1世紀以上経った今でもロールス・ロイスのモデルに冠されています。
ロールス・ロイスの歴史における「スペクター」という名前の登場
1910 年 、ロールス・ロイスは「シャーシ 1601 」を製造し、クロード・ジョンソンは、それを試用車(デモンストレーター車)として使用し「シルバー・スペクター」と命名したのです。これが、ロールス・ロイスのアーカイブに初めて記録された 「スペクター」 を使った名前でした。
そして、その20年後、再び「スペクター」 という名前は、ロールス・ロイスの歴史に登場します。
ロールス・ロイスは、その歴史の初期に、実験用カーには接尾辞「EX」を付けたシャシー番号をつけました。1919 年の「 1EX」 に始まり、1957 年の 「45EX 」まで、これらの開発モデルは最大 1万5000マイルの激しいテスト走行にさらされました。(EX の名称は、現代でも継続されており、最新の例は、2016 年に発表された 初の電動コンセプトカー「103EX」 です)
1930年、ヘンリー・ロイスは、独立フロントサスペンションを備えた初のシャシーのために、まったく新しいV12エンジンの開発に着手していました。しかし、ロイスが1933年に死去したため、そのプロジェクトの完成を見ることはありませんでした。その後、新型車「30EX」は、1934年11月にようやく走行テストの準備が整います。
あらゆる技術革新と同様、新しいV12エンジンの秘密を守ることは非常に重要なことでした。そのため「30EX」には、シャシーナンバーとともに「スペクター」というコードネームが付けられたのです。
1936年に「ファントムIII」として生産が開始されるまで、「スペクター」のコードネームを持ったEXは、さらに9台続きます。これらの開発シャシーのうち、7台は、後に個人顧客に販売されるために再利用されています。
「ファントムIII」が、1907年に「シルバーゴースト」によって確立された「世界最高の車」というブランドの名声を維持することができたのは、これらの「スペクター」車を使って行われたテストと改良のおかげだった訳です。
当時のEX カーと同様に、最新の「スペクター」は、ロールス・ロイスにとって、技術的にも哲学的にも大胆かつ非常に重要な変化の象徴でもあります。まさに、今回の初のBEVは V12 エンジンの導入持よりもさらに大きなパワートレイン技術の進化を示しているのです。
「スペクター」は歴史的に重要な車に最適な名前
「スペクター」という名前自体は、沈黙、洗練、神秘を喚起させるという意味で、「ゴースト」「ファントム」「レイス」に並びます。通常の経験の外側に存在する想像上の夢のようなもののこと。また、前に述べたように個別の実験車にこのネームプレートが与えられたことはあったものの、これまで量産ロールス・ロイスが「スペクター」のネームプレートを着用したことはありませんでした。今回は、革新性と継続性の融合による、特異かつ歴史的に重要な車への最適な名前として「スペクター」が選ばれたのです。
ロールス・ロイス・モーター・カーズの最高経営責任者であるトルステン・ミュラー・エトヴェシュは、次のように述べています。「過去の『スペクター』と現在の『スペクター』の間には、心地よい対称性があります。当社の歴史において、『スペクター』は技術革新と開発、そして世界を変え続けるロールス・ロイス自動車の代名詞です。ほぼ1 世紀の隔たりはありますが、1930 年代の『スペクター』も今日の『スペクター』も、今後数十年にわたって当社の製品と顧客のエクスペリエンスを形作る推進技術の実験場となっています」
エトヴェシュの説明にあるように、「スペクター」は、ロールス・ロイスの技術革新の最新性と、同社の歴史的な転換点を表明するモデル名で、そこにはロールス・ロイスの歴史が体現されています。
創業者チャールズ・ロールズの電気自動車への予言
また、それだけでなく、ロールス・ロイスの歴史はEVの歴史の一端も担っています。実は、ロールス・ロイスの創業者である、チャールズ・ロールズ、ヘンリー・ロイスは両者とも、同社の設立前の1900年初頭に電気自動車の実現へ動いていたのです。
ヘンリー・ロイスは、熟練した電気技師としてキャリアを積んでから、電気自動車の製作を経て、内燃機関系自動車製造の専門家になりました。ロイスは、電動力の特性、つまり静かな動作、瞬時のトルク、驚異的なパワー、そして排気ガスの無さは、特に高級自動車にとって、非常に魅力的だと感じていたようです。実際、航続距離と充電の問題さえ解決できていたら、ヘンリー・ロイスは自動車に電力のみを選択したかもしれないと推測する人さえいます。
また、チャールズ・ロールズも、二人が出会う前の数年間に電気自動車を試していました。
当時、チャールズ・ロールズが、オートモービル・ジャーナルで、電気ドライブトレインを理想的と解説するとともに、航続距離と充電についての懸念を提起したことが記録に残っています。彼はコロンビアのモデルをそのタイプの中で最高のものとみなしつつも、充電インフラの問題点を提示し、次のような予言をしていました。
「電気自動車は、完全にノイズがなく、クリーンです。匂いや振動もなく、定置式充電スタンドさえ配置できればタウンユースでも重宝するでしょう。しかし、田舎での使用では、少なくとも今後何年もの間はあまり役に立たないと思います」
チャールズ・ローズは、当時ロンドンで大流行していた個人向け、またはレンタル可能な電気ブロアム(運転台が外にある旧式の車)のために、自身の会社のショールームにてバッテリー充電ステーションを提供することで、充電問題の解決に小さな貢献をしました。そして、1904 年には一度、電気自動車「コンタル・エレクトロモービル」の代理店になることに同意し契約をしました。しかしその後、ヘンリー・ロイスに出会うことで、ロイスの新しいガソリン自動車の素晴らしさから、その契約をキャンセル。チャールズ・ローズとヘンリー・ロイスの二人による高級自動車メーカー、ロールス・ロイスが生まれたのです。
その後、ガソリン駆動のロールス・ロイスが初めてアメリカに輸出されたとき、その伝説的な静かな走行のおかげで、一部の当局者はそれらが電気自動車ではないとは信じなかった、というエピソードがあります。ロールズとロイスの二人が追求した走行時の静寂性は、ロールス・ロイスの大きな特徴の一つとなり、このメーカーの自動車は、のちに「空とぶ魔法の絨毯」とまで例えられるようになりました。このようにロールス・ロイスのアイデンティティと電気自動車との間には、歴史的な繋がりがあったのです。
ロールス・ロイスは2030年完全電動化を宣言
2021年9月29日、ロールス・ロイス初の完全電気自動車「スペクター」の発表の際、ロールス・ロイス・モーター・カーズの最高経営責任者トルステン・ミュラー・エトヴェシュは、こう宣言しました。
「この新製品によって、私たちは2030年までに製品全体の完全な電動化を実現することを宣言します。その時までに、ロールス・ロイスは内燃エンジン製品の製造・販売事業から撤退することになります」
そして、エトヴェシュの宣言は、1904年のチャールズ・ロールズの予言に触れてこうしめくくられました。
「『スペクター』は、チャールズ・ロールズの予言の成就です。ロールス・ロイス・モーター・カーズを代表して交わした私の約束は守られました。今、私たちは驚くべき事業を開始します。世界で最も進歩的で影響力のある女性や男性を、電動化された輝かしい未来へと導き続けることを誇りに思います」
4800万円のEVの真髄、ロールス・ロイス初のBEV「スペクター」完全解説 中編「ロールス・ロイス、究極の完全電気自動車『スペクター』への道」へ続きます。
出典:ロールス・ロイス・モーター・カーズ公式HP
”A SPIRIT OF BOLD INNOVATION: THE EXTRAORDINARY HISTORY OF THE SPECTRE NAME”
”ROLLS-ROYCE AND ELECTRIC POWER: A PROPHECY, A PROMISE AND AN UNDERTAKING”