photos : Takahiro Sakata
EV cafeが制作した、好評発売中の一冊丸ごとTESLA MOOK「TESLA FAN BOOK テスラについて知っておきたい100のこと」では、雑誌やCMで撮影に使う東京の様々な撮影スポットで、プロのフォトグラファーによるグラビア撮影を実施しました。EVcafeでは、本誌で掲載しきれなかったグラビア写真とともに、週末のEVドライブで立ち寄りたい東京の撮影スポットを紹介しています。その第二弾は、コロナ禍の影響で中止されていた日本三大祭りの一つ「神田祭」が、5月11−17日まで、4年ぶりの復活となり話題を呼んだ「神田明神」です。
神田明神の正式名称は「神田神社」、東京の中心ー神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、豊洲魚市場、108町会の氏神様で「明神さま」の名で親しまれています。
社伝によると、天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊を慰め、さらに延慶2年(1309)に奉祀しました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝の祈祷を行ない。9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下を統一。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として神田祭を絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。
以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民に崇敬されてきました。その歴史は、地震や噴火などの自然災害や戦争などの、幾多の災禍を乗り越えながら築かれてきました。未曾有の関東大震災により江戸時代後期を代表する社殿が焼失してしまいましたが、氏子崇敬者をはじめ東京の人々により、すぐに復興が計画され、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。その後、昭和10年代後半より、日本は第二次世界大戦へと突入、東京は大空襲により一面焼け野原となってしまいました。神田明神の境内も多くの建造物がほとんど烏有に帰しましたが、耐火構造の社殿のみわずかな損傷のみで戦災を耐えぬいたのです。戦後以降、結婚式場・明神会館など次々と境内の建造物が再建されていき、昭和51年に檜木造の隨神門が再建されたことで、江戸時代に負けない現在の神社の姿を取り戻しました。
このように、飢饉や疫病、また火事や戦乱といった幾多の災禍を乗り越えるために、人々が祈りを尽くしながら耐え、歴史と文化を守り継いできたのが神田明神なのです。
江戸幕府の庇護を受けた神田祭りは、江戸城・内曲輪内へ、2基の神輿、36番45本前後の山車や附祭、御雇祭などからなる祭礼行列が練りこみ、徳川将軍や御台所の上覧があったことなどから、江戸の庶民たちからいつからか「天下祭」と称されるようになり、江戸時代を通じて全国的に有名な祭のひとつとして「日本三大祭り」「江戸三大祭り」の中に数えられています。
コロナ禍の影響で中止となっていた神田祭は、本年4年ぶりの復活となりました。5月11日の午後7時、夕刻から夜にかけて行われる、神田祭の始まりを告げる最初の神事、鳳輦神輿遷座祭 (ほうれんみこしせんざさい)が始まりました。斎服、浄衣と呼ばれる白装束を着た神職によって、本殿から神田明神三柱の御祭神(だいこく様、えびす様、まさかど様)の御神霊を、三基の鳳輦・神輿へと遷す儀式が執り行われ。神幸祭に向けて鳳輦と神輿に御神霊が遷座されました。12日には、氏子108町会が有する大小200基もの神輿に、明神様の御神霊を遷す神事、氏子町会神輿神霊入れ (うじこちょうかいみこしみたまいれ)が各町会での神輿渡御と神社への神輿宮入参拝に向けて行われ。全神輿に御神霊が遷りました。13日、神幸祭には、三柱の御神霊を遷した「一の宮鳳輦」「二の宮神輿」「三の宮鳳輦」をはじめ、 諫鼓山車や獅子頭山車などからなる行列が東京都心の神田、日本橋、秋葉原、大手丸等の内氏子108町会を巡り、神々の力によって各町会を祓い清めました。コロナ禍での4年に及ぶ長い自粛を乗り越えた喜びの中、最終的には数千人規模の大行列へと膨らみました。神田祭で最も見応えのあるのが神輿宮入です。大小200を超える各町の神輿は、神田の町を練り歩きながら神田明神を目指します。次々と神輿が到着する境内には壮麗な景色が広がり、氏子たちの熱気に満ちました。
その後、献茶式(表千家家元奉仕)、明神能・幽玄の花 などを経て、神田明神で最も大切な神事「例大祭」が最終日の17日に行われました。例大祭では、氏子総代、氏子108町会の代表者、祭典委員、そして神田祭に奉仕した多くの方々が参列するなか、衣冠装束姿の宮司をはじめ、すべての神職が奉仕。献饌、巫女による「巫女舞」の奉奏、祝詞奏上、拝礼と神事が執り行われ、日本の繁栄と平和、そして氏子の無事安全が祈願されたのです。
TESLA FAN BOOKのグラビアページ(P49)のロケーションは、そんな神田祭の舞台となった神田明神のライトアップされた隨神門前でした。たくさんの読者の方々から「日本っぽくて好き!」との声をいただいたこのカットには、 撮影時はまだコロナ禍ながら、観光に来ていた外国人の方々もテスラモデルYの撮影に興味津々。彼らにスマフォで撮影されながらのワンカットでもあります。
歴史的建築物は、建物が持つ独自のイメージを際立たせることが大切です。この撮影では、髄神門の煌びやかな世界観を増幅させるため、スローシャッターで、テスラの右ボディにライトを横に動かしながらペイントするようにあてて、複数の光の写り込みで、より華やかな空気を作り出しました。
ここで紹介したグラビアは「TESLA FAN BOOK テスラについて知っておきたい100のこと」に掲載されています。
ご購入は、以下のamazon 商品ページまで
https://www.amazon.co.jp/dp/4777026825
神田明神公式サイト
https://www.kandamyoujin.or.jp
※施設での撮影は、自身の施設利用時に、他の利用客や周辺に迷惑をかけないように行ってください。