EVcafeで考える 第37回
by がす
テスラが早ければ今月(2026年8月)、新型ロードスターを発表するという報道が出ています。それ自体はいい。2017年の初公開から延期に延期を重ねてきた車ですから、「またその話か」で終わってもおかしくない。ただ今回は中身が違います。発表の場所がテキサス州マクレガーにあるスペースXのロケット試験場で、そこでスペースXと共同開発したコールドガス・スラスターを積んだ限定版ロードスターを、実際に地面から浮かせてみせる計画だというのです。
細部がいちいち普通ではありません。スラスターの噴射音が鼓膜を損傷しかねないレベルなので、車は無人の遠隔操作で動かし、観客は数百メートル離れた場所から見ることになるらしい。新車発表会で観客を数百メートル下げる。これはもう自動車のお披露目の距離感ではなく、ロケットの燃焼試験の距離感です。実際、それで正しい。あれは新車発表会の皮を被った、推進系の公開試験です。
浮く仕組みは「燃やさないロケット」
まず仕組みの話をします。コールドガス・スラスターというのは、ロケット推進の中で一番地味な部類の装置です。燃料を燃やしません。窒素などの不活性ガスを超高圧タンクに詰めておき、電磁バルブを開けてノズルから一気に噴射する。その反作用で機体を動かします。燃焼室も点火装置も要らないので構造が単純で軽く、高温にならない。代わりに、燃やす化学ロケットに比べて効率では劣ります。人工衛星の姿勢制御や、スペースXのファルコン9第1段が宇宙空間で機体の向きを変えるときに使われている、調べたら実績だけは山ほどある枯れた技術でした。
これをロードスターにどう積むか。開発コードネームはA71。後部座席があるはずのスペースに約10基のスラスターを配置する構成で、イーロン・マスクは0-60mph(約96km/h)を1.1秒程度で到達できると主張しています。宇宙品質の複合材圧力容器(COPV)に詰めた超高圧ガスを、ミリ秒単位のバルブ制御で吹く。加速だけではありません。コーナリング中に外側へ噴けば横滑りを抑えられるし、急制動時に前へ逆噴射すれば制動距離を縮められる。そして下に噴けば、車体が浮きます。
ちなみに演出案は当初もっと過激だったと報じられています。磁気を使ったランプを駆け上がり、逆さまに走り、姿勢を戻してホバリングする、という構成が一度マスクにプレビューされ、その後「純粋な浮上デモ」に縮小された。残ったのが浮上だけでも十分すぎるのですが、逆さま走行を一度は本気で検討したという事実のほうに、この会社の体質がよく出ています(笑)。
これは車ではなく、タイヤの付いた小型ロケットです
ここで一段引いて考えると、この乗り物は「速い車」というカテゴリーに収まりません。
自動車というのは、100年以上ずっと「タイヤと路面の摩擦で走る」乗り物でした。加速も、減速も、旋回も、すべてゴムが地面を掴む力の範囲内で行われます。どれだけモーター出力を上げても、どれだけ空力でダウンフォースを稼いでも、最後は摩擦係数が上限を決める。内燃機関もEVも、この前提だけは共有してきました。
スラスター搭載ロードスターは、その前提の外にいます。限界値を決めるのはゴムのグリップではなく、ガスの噴射圧力と流量とバルブの応答速度です。制御するのは横滑り防止装置ではなく、月着陸機やロケット第1段の着陸制御と同系統の姿勢制御アルゴリズムです。後席を潰して高圧タンクとコンプレッサーを積み、多方向のノズルで3次元の姿勢を取る。構造としては「タイヤの付いた垂直離着陸試験機」に近い。車の派生ではなく、宇宙機の派生です。
こういう企画は、普通の自動車メーカーでは会議を通りません。法規にも収まらないし、開発コストの回収見込みも立たない。ロケット会社の部品と技術と試験場を、そのまま社内リソースとして直結できる体制があって初めて形になります。その体制を持っている自動車メーカーは、地球上にテスラ一社しかありません。

実用性ゼロの車に、何の意味があるのか
冷静に言えば、この車の日常的な実用性はゼロです。スラスター版は公道走行不可の見込みで、価格は数十万ドル、場合によっては数百万ドルに達する可能性があると報じられています。日本円で億の世界。通勤にも買い物にも使えません。それでも、テスラの事業戦略としては大きな意味が少なくとも三つあります。
ひとつは究極のハローカー効果です。採算度外視の最高峰モデルでブランド全体を引き上げる手法は自動車業界の伝統芸ですが、「空中に浮く車」の絵面は次元が違います。実際に買うのがごく一部の富裕層でも、「あれを作る会社のモデル Y」という形で量産車に憧れが波及する。世界中のメディアとSNSが勝手に拡散してくれるので、広告費はゼロです。
ふたつめは、技術の堀の誇示です。トヨタにもVWにもBYDにも、資金力ならテスラを上回るITジャイアントにも、自前で軌道ロケットを飛ばしている兄弟会社はありません。宇宙船用スラスター、COPV、着陸制御アルゴリズム、そして音がうるさすぎる実験を平然とやれる試験場。この組み合わせを転用できるのは世界でテスラだけであり、今回のデモはその事実を全世界に見せつける装置です。
みっつめは、極限仕様がもたらす開発現場の進化です。F1が市販車の技術を育てたのと同じで、超高圧エア制御、ミリ秒単位の超高速バルブ、フルカーボンモノコック、極限の熱管理といった要素は、将来の高性能モデルやオプティマスのような別事業に知見が還流していきます。見世物の裏で、ちゃんと実験場としても機能する。
エンジン100年の伝統への、土俵外からの回答
それで、ここからが本題です。なぜこれがそんなに痛快なのか。
自動車の性能競争は、100年以上ずっと内燃機関の職人技の積み上げでした。フェラーリのV12、ポルシェの水平対向、ブガッティのW16。シリンダーの加工精度、カムのプロファイル、過給の制御、排気音の調律まで含めて、各社が世代をまたいで蓄積してきた資産です。新興メーカーが数年で追いつける領域ではない、というのが業界の共通認識で、だからこそ伝統に権威がありました。
テスラはその土俵に、最初から上がっていません。EVでエンジンの伝統を無効化したのが第一段階だとすれば、今回はその先です。「タイヤで走る」という、敵も味方も共有していた大前提そのものを、宇宙機の力学で飛び越えにきた。どれだけ精密にエンジンを組んでも、どれだけ空力を磨いても、摩擦の壁は破れません。その壁の外側から、反作用推進という別階層の物理で回答を叩きつけてくる。ルールの中で勝つのではなく、ルールが依拠する物理のレイヤーをひとつ上がってしまう。伝統側から見れば反則です。ただし、その反則を成立させたのもまた、純度の高いエンジニアリングです。
貴族趣味的なブランドストーリーで権威を保ってきた旧来のハイパーカーの世界に対して、テスラだけが「SFをそのまま地上に持ってきました」と応じる。この構図に痺れない技術者は、たぶんいませんよね。
一応、冷や水もかけておきます
ロードスターは2017年の初公開以来、社内期限を8回以上落としてきたプログラムです。今回もまた外しそうです。マスク自身、社内に対して「このデモは難しい、失敗するかもしれない。ただしどちらに転んでも面白い」という趣旨のことを言っているそうです。この開き直りは嫌いではありません。失敗したらしたで、ロケット試験場で車が転がる映像が世界に流れるだけで、翌日には全メディアがロードスターの名前を書いています。ハローカーとしての仕事は、浮こうが転ぼうが完了します。
結論。これは現代エンジニアリング最高のカタルシスです
まとめます。100年かけて磨かれた精密機械の頂点に対して、「では物理の別階層から失礼します」とロケットの反作用で答える。世界中の自動車メーカーの技術陣は、悔しさと同時に、エンジニアとしてこれを見たくてたまらないはずです。私たち見物人も同じです。
発表会の見方はこうです。浮上の高さや滞空時間の数字は、正直どうでもいい。見るべきは、車の形をしたロケットテストベッドが、月着陸機と同じロジックで空中でバランスを取る数秒間です。その数秒に、テスラとスペースXという体制でしか作れないものが全部詰まっています。

がす(来嶋 勇人)
福岡県出身。(株)ファミリーマートのマーケティング本部でアプリやコーヒーのパッケージを作っていたが早期退職。無職になりテスラでハローワークに通い見つけた会社に入社。そこでゼロからスタートし、そこの関連会社の社長に抜擢され就任。現在はECやアニメーション事業を行っている。

