EVcafeで考える 第49回
by がす
EUがテスラのFSD(監視付き)について、域内全体での承認採決を10月から先送りしました。2026年10月6日の自動車技術委員会(TCMV)の議題には「オランダの申請について議論を継続」とあるだけで、割り当ては25分。次の会合は12月です。テスラは9月1日にXで「10月6日に採決の可能性がある」と書いていました。
延期を知ったイーロン・マスクの返信は「ため息」の一言です。
このニュースは日本語圏では、たいてい二通りに説明されます。
ひとつは「EUの保護主義」。ドイツやフランスが、自国メーカーが追いつくまでの時間を稼いでいるという読みです。もうひとつは「ブラックボックスAIへの不信」。判断の理由を説明できないAIを、欧州の型式認証は受け入れられないという読みです。私も最初はそう読みました。ところが、各国の規制当局が実際に書面で何を問題にしているかを追うと、話はずっと地味で具体的でした。論点の中心にあるのは「制限速度」です。
反対の理由は「スピードオフセット」という一つの設定
欧州版FSDには「スピードオフセット」という設定があり、制限速度をどこまで超えてよいか(最大50%)をドライバーが決めておけます。たとえば「プラス10キロ」なら、制限50キロの道で最大60キロまで出すことがあります。周囲の流れに応じて上限を自動で調整する「Contextual Max Speed」という設定もあります(北米版では、2025年秋のv14でこの設定がなくなり、「Chill」「Hurry」などの走行プロファイルから選ぶ方式に変わりました)。
スウェーデン運輸庁は4月30日付でTCMVに書簡を送り、この機能を削除しない限りEU全域承認には反対票を投じるべきだと勧めました。書簡は、自動化システムが法定速度を「系統的に」超えれば、法の枠組みも自動化の安全効果も損なわれると書いています。
フランスも同じ点を問題にしています。運輸相が7月に示した資料には、周囲の流れに合わせた結果、時速50キロの区間を70キロで走った例がありました。20キロの超過です。
テスラがオフセットを外さない理由
設定を一つ消せば反対が一つ消えるなら、すぐ消せばいいと思うかもしれません。テスラはロイターの取材に応じておらず、外す計画があるかどうかは不明です。ただ、外さない理由は外から見てもいくつかあります。
1つ目は、承認を出したオランダ当局自身がこの機能を擁護していることです。オランダは5月の委員会で、オフセットはむしろ安全に役立つと主張しました。標識や地図の制限速度データが間違っているときに補正できるし、周りの流れにも合わせられる、という理由です。審査をした当局が必要だと言っている機能を、テスラが自分から消す理由は無いわけです。

2つ目は、オフセットを外しても問題が消えるとは限らないことです。9月24日、FSDをすでに認めているベルギーで、ブリュッセルの交通安全団体が独自の走行調査を公表しました。時速30キロ区間の55%で制限を超え、平均は44キロ。30キロの標識を認識していても、画面の制限速度表示は50キロのままというケースが多かったそうです。この場合、オフセットをゼロにしても車は50キロで走ります。本当の課題は制限速度の読み取りの精度で、オフセットはその一部にすぎません。

3つ目は推測です。制限速度をきっちり守る車は、流れの速い道では後ろから詰められます。そうなるとドライバーがFSDを切ってしまう。テスラのFSDは人間の運転を大量に学習して、人間らしく流れに乗って走れるようになりました。その持ち味を自分で削りたくない、という判断がテスラにあるのだと思います。
4つ目も推測です。スウェーデン政府は9月に入って、全域承認を実現させるべきだと前向きな発言をしています。反対国が減るなら外さずに済むので、テスラは様子を見ている可能性があります。
保護主義なら、フォードは通っていない
保護主義説にも、一応の根拠はあります。これまでにFSDを認めたのはオランダ、リトアニア、エストニア、デンマーク、ベルギー、スロベニア、チェコ、クロアチアの8カ国(ここにです。人口を合わせても5690万人ほどで、EU全体の12.7%前後しかありません。可決には15カ国以上、かつ人口の65%が必要です。ドイツ、フランス、イタリア、スペインのような大国が動かない限り、数字は届きません。


ただ、同じTCMVは2024年3月に、アメリカのフォードのハンズオフ運転支援「ブルークルーズ」を承認しています。後押ししたのはドイツでした。アメリカ製だから落とすという単純な構図なら、フォードは通っていないはずです。
「ドライバーの責任」で片付かない唯一の場所
FSDを承認した国の理屈は明快です。エストニアもデンマークも、監視付きである以上、「法的責任はドライバーにある」と説明しています。交通法規を守る責任もドライバーにある、という立場です。メーカーが事故責任を負うレベル3を出していたメルセデスも、今年それをやめて、FSDと同じドライバー責任のレベル2に切り替えました。欧州の議論は今、全員がこの前提の上に立っています。


この理屈は、ほとんどの場面で成り立ちます。AIが判断を誤り、ドライバーが止めなかった。それは監視義務の問題です。ところがスピードオフセットだけは、この理屈がねじれます。
人間の速度超過は、その瞬間ごとの判断です。急いでいた、うっかりしていた。一回ごとの違反で、一回ごとに本人の責任です。スピードオフセットは違います。ドライバーが事前に「プラス10キロまで許可」と設定すれば、あとは機械がその方針を何百回でも黙々と実行します。違反の判断を実際に下しているのは機械で、罰金を払うのは人間です。スウェーデンの書簡が「系統的に」という言葉を選んだのは、たぶんこの点です。
つまり、欧州の規制当局が承認しようとしているのは、人間のように走る機械ではありません。人間より行儀よく走る機械なのです。
予想
最後にがすの予想を置いておきましょう。
12月の会合でも、FSDが今の仕様のまま可決されることはないと見ています。可決の条件が揃うのは、テスラが欧州向けソフトからスピードオフセットを外すか、法定速度を上限に固定した版を出してからです。私はそれが12月の会合より前に、アップデート内容の一項目として静かに出てくると予想します(推測です)。交渉が長引いて販売の機会を逃すくらいなら、設定一つを諦めるほうが安いはずです。
人間に一番難しくて、機械に一番簡単なこと
欧州の反対意見を、もう一度並べ直してみてください。スピードオフセット。凍結路。ドライバーの注意の監視。標識の読み違い。
争点の中心に「交差点で判断できない」も「歩行者を避けられない」も入っていません。オランダは18カ月かけて、160万キロを走らせて調べました。そのうえで最後に残った最大の争点が、機械が制限速度を守るかどうかです。

これは、実はテスラのFSDは一番難しい試験にはもう受かっているということです。何年も「カメラだけでは無理だ」と言われ続けてきた、人間のように判断して走る部分について、欧州の規制当局は正面から異議を唱えていません。
そして残った宿題は、機械にとって一番簡単な種類のものです。人間に制限速度を守らせることは、100年かけてもできませんでした。取り締まって罰金を取っても、人は流れに乗って速く走ります。機械なら、上限はソフトの設定一つで決まります。30キロ標識の読み違いも、地図データと学習の問題なので、アップデートのたびに直せます。欧州ではすでに7万人以上がFSDを使っています。直したソフトは、その全車に一晩で届きます。
イーロン・マスクの「ため息」を、私は負けた人の溜息とは読みません。宿題はあと一行しか残っていないのに、その一行を出すまで試験官が待っている。そのもどかしさの溜息でしょう。
テスラのFSDは、人間のように走れることをもう証明しました。残っている証明は、実はテスラがあまりやりたがっていない「人間のようには走らないこと」。人間には一番難しく、機械には一番簡単な試験です。12月か、その次か。どちらにしても、最後の答案を書くのはテスラのほうです。

がす(来嶋 勇人)
福岡県出身。(株)ファミリーマートのマーケティング本部でアプリやコーヒーのパッケージを作っていたが早期退職。無職になりテスラでハローワークに通い見つけた会社に入社。そこでゼロからスタートし、そこの関連会社の社長に抜擢され就任。現在はECやアニメーション事業を行っている。

